伊豆大島ウルトラランニング参戦記①


みなさん、こんにちは。

今回は、先週末に久しぶりに参加した
ウルトラマラソンの参戦記を
3回シリーズでお送りしたいと思います。

今回の舞台は伊豆大島。
伊豆大島は生まれて初めて訪れる場所。

今回のウルトラ参戦には、
とても強い想いがありました。

昨年4月に開催されたUTMF。
膝の調子が悪く、トレーニング不足で参加したことも
あって、あえなく途中リタイア。
その後6月に参戦したサロマ湖ウルトラマラソンも
40km過ぎで左膝がきしみ、結局55kmでリタイアという
不甲斐ない成績で終わった年でした。

悔しさと情けなさで自分と向き合う時間が続きました。

「負けぐせ」という言葉があります。
何度かこうしてリタイアを繰り返していると、
マラソンだけでなく、自分の思考の中に
負けても良いという心理的な癖がついてしまう
現象です。

マラソンリタイアは一つの表層的な現象でしかなく、
本質的には自分のマインドに弱さが生まれていると
強く感じていました。

ここから「必殺突破人」本領発揮です!
徹底的に作戦を練りました。

膝の状態が回復する昨年10月末までトレーニングを
中止し、2012年はすべてのレースをキャンセル。
昨年11月からリハビリをスタートさせ、2013年に入って
徐々にペースと負荷を上げてきました。

1月中旬:フロスバイトハーフマラソン参戦
1月下旬:館山フルマラソン参戦
2月中旬:三浦半島縦走トレイル参戦

2月の三浦半島トレイルで、完走した後もかなり
余力があったので、ほぼ100km完走のイメージが
沸いてきました。
仕事が忙しくて、毎日きちんと走るリズムが
できなかったのですが、その遅れを取り戻すべく
週末に30km~40kmのLSDか、山の中でトレイルラン
30km程度を繰り返すようにしていました。

こうして、なんとかレース当日までに体を作って、
今回のウルトラチャレンジとなりました。

大島ウルトラマラソンは国内屈指のウルトラ難コース。
3年前に野辺山ウルトラマラソンに出場してなんとか
完走を果たしましたが、その時は制限時間まであと10分
という本当にぎりぎりのタイムでした。

今回の大島ウルトラもその野辺山と同等か、
それ以上の難易度と言われているコースです。
(復帰戦になぜこのレースを選んでしまったのかと
エントリー完了したあとで、けっこうくやみました。。。)

ちなみにコースの高低差イメージはこんな感じです。

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この表には出ていませんが、全体のコースがうねっていて、
ほとんど平坦と呼べる部分がありません。。。。
平坦なところを走っているときには、次の坂が前に見えている
感じです。

前置きはこの位にして、レースの様子をダイジェストで
振り返ってみたいと思います。

3月22日の正午に東京をたち、東海道線で熱海まで
やってきました。熱海から高速船にのって、およそ
45分で伊豆大島上陸です。

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ちなみに東京竹芝からも高速船の航路があるのですが、
ぎりぎりの申し込みだったので、熱海からの航路利用と
なりました。

午後4時過ぎに大島上陸。
今回は宿をとらず、軽ワゴン車の中で2泊です。

受付会場でゼッケン144番を受け取りました。
その後、持参したおにぎりを食べて、浜辺近くの
夕日の綺麗な温泉でゆったりとしたときを過ごしました。

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その後、早めに車で就寝となりました。

参戦記②へ続く)


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この記事を書いた人

静岡県出身。東北大学工学部応用物理学科卒。
1993年アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)入社。大手会計システムの設計・開発・データ移行に携わる。同社戦略グループへ配属後、医療法人システム導入PJT、大手石油会社業務改革に従事。同社を退社後、個人で複数の中小企業を相手に経営診断、営業支援を実施した後、1998年(株)ベルハート入社。発信型テレマーケティングメソッドの開発・導入指導をしつつ、1999年Bell Heart Inex Le Corp.代表として台湾へ赴任。同事業黒字化の後、代表退任し帰国。

2000年(株)ラストリゾート入社。国内拠点、海外拠点の拡大に従事。同年、同社取締役。2002年、同社取締役事業本部長就任。2006年代表取締役に就任。2009年同社代表退任後、数々の新規事業、新会社設立に参画。コンサルティングや経営参画しつつ、多くのプロジェクトに足を突っ込む根っからのお節介。
生涯調達資金額が70億円を超える資金調達のスペシャリスト。

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