魂と出会う旅(17)


『JFKが尊敬する人物 ~米沢上杉神社~』

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新潟から一般道を経由して山形へ入る。

昨日から大雪警報が発令していたこともあって、
山形へ抜ける峠道はかなりの雪。
スタッドレスタイヤを履いていても
かなり滑る。。。冷や汗の連続。。。

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怖い思いを繰り返しながらも、予定から2時間以上遅れて
山形は米沢市に到着。
ここにはもう一つの上杉謙信の里がある。

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上杉謙信が天正6年(1578年)、越後春日山城で急死した際、
遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られたが、
次代の上杉景勝が会津を経て慶長6年(1601年)に
米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された。

併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、
山形県社「上杉神社」とした。
明治9年(1876年)5月21日、
現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座される。

明治35年(1902年)4月26日には別格官幣社に列せられる。
この時鷹山は新たに設けた摂社「松岬神社」に遷され、
上杉神社は再び謙信のみを祀ることとなったらしい。

先日上越で訪問した謙信神社と合わせて、こちらも
上杉謙信ゆかりの里として有名な場所。
雪化粧した場内はとても美しく、その幻想的な風景に
心を奪われた。

ちなみに合祀された「上杉鷹山」は、私が尊敬する人物の一人。
江戸時代中期の米沢藩主だが、
・アメリカ元大統領JFKやビルクリントンが尊敬する日本人政治家
・「なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも」の名言を残した
・米沢藩の窮地を立て直した
・現代にも通じる政治手腕を発揮した
・今なお山形県米沢市民の心に深く息づいている

などその逸話は尽きない。

人間性の深さ、現代に通じるトップとしての姿勢には学ぶことが多い。
先日訪問した山口の松下村塾の吉田松陰先生と合わせて、
今回の旅で自分のロールモデルとしたい人物の一人だ。

こうした日本人がいたこと、
そして世界のリーダーから尊敬されていることを
心から誇りに想う。

今の政治家にこうした人が出てこないのは
なぜなのだろうか?
松陰先生や、鷹山先生と異なるのは何であるのか?

覚悟か、公の思想か?

そんなことを考えながら、なつかしの土地仙台へと
雪道を進んだ。


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この記事を書いた人

静岡県出身。東北大学工学部応用物理学科卒。
1993年アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)入社。大手会計システムの設計・開発・データ移行に携わる。同社戦略グループへ配属後、医療法人システム導入PJT、大手石油会社業務改革に従事。同社を退社後、個人で複数の中小企業を相手に経営診断、営業支援を実施した後、1998年(株)ベルハート入社。発信型テレマーケティングメソッドの開発・導入指導をしつつ、1999年Bell Heart Inex Le Corp.代表として台湾へ赴任。同事業黒字化の後、代表退任し帰国。

2000年(株)ラストリゾート入社。国内拠点、海外拠点の拡大に従事。同年、同社取締役。2002年、同社取締役事業本部長就任。2006年代表取締役に就任。2009年同社代表退任後、数々の新規事業、新会社設立に参画。コンサルティングや経営参画しつつ、多くのプロジェクトに足を突っ込む根っからのお節介。
生涯調達資金額が70億円を超える資金調達のスペシャリスト。

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