『JFKが尊敬する人物 ~米沢上杉神社~』
新潟から一般道を経由して山形へ入る。
昨日から大雪警報が発令していたこともあって、
山形へ抜ける峠道はかなりの雪。
スタッドレスタイヤを履いていても
かなり滑る。。。冷や汗の連続。。。
怖い思いを繰り返しながらも、予定から2時間以上遅れて
山形は米沢市に到着。
ここにはもう一つの上杉謙信の里がある。
上杉謙信が天正6年(1578年)、越後春日山城で急死した際、
遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られたが、
次代の上杉景勝が会津を経て慶長6年(1601年)に
米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された。
併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、
山形県社「上杉神社」とした。
明治9年(1876年)5月21日、
現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座される。
明治35年(1902年)4月26日には別格官幣社に列せられる。
この時鷹山は新たに設けた摂社「松岬神社」に遷され、
上杉神社は再び謙信のみを祀ることとなったらしい。
先日上越で訪問した謙信神社と合わせて、こちらも
上杉謙信ゆかりの里として有名な場所。
雪化粧した場内はとても美しく、その幻想的な風景に
心を奪われた。
ちなみに合祀された「上杉鷹山」は、私が尊敬する人物の一人。
江戸時代中期の米沢藩主だが、
・アメリカ元大統領JFKやビルクリントンが尊敬する日本人政治家
・「なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも」の名言を残した
・米沢藩の窮地を立て直した
・現代にも通じる政治手腕を発揮した
・今なお山形県米沢市民の心に深く息づいている
などその逸話は尽きない。
人間性の深さ、現代に通じるトップとしての姿勢には学ぶことが多い。
先日訪問した山口の松下村塾の吉田松陰先生と合わせて、
今回の旅で自分のロールモデルとしたい人物の一人だ。
こうした日本人がいたこと、
そして世界のリーダーから尊敬されていることを
心から誇りに想う。
今の政治家にこうした人が出てこないのは
なぜなのだろうか?
松陰先生や、鷹山先生と異なるのは何であるのか?
覚悟か、公の思想か?
そんなことを考えながら、なつかしの土地仙台へと
雪道を進んだ。
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