最近体感として分かってきたことがあります。
自分に何かを引き寄せるためには、そのまま
自らで何かを引っ張ろうとするのではなく、
自分にできることを誰かにすることによって、
巡り巡って自分の所に戻ってきて結果として
引き寄せるというリアルな感覚です。
僕は意識をすると人のオーラが見えるのですが、自分の
オーラを直接見たことはありません。自分のことを
鏡で見ようとしても何も見えないのです。
自分のオーラを見るためには、別の見える人にお願いを
して見ていただくしかありません。
この世の中は良く出来ていて、自分の願望を主張すると
その主張は直接聞き届けられず、人を通じて返ってきます。
理屈や科学の世界では、ほとんど「偶然」と処理されてしまう
ことですが、実は俯瞰で物事を観察しているとそうしたことが
本当に多いことに驚かされます。
人間が五感や意識で理解できる範疇は本当に狭いものです。
その中で理解できない=存在しないと短絡的に考えるのではなく
感覚として体感することがとても大切だと思います。
このことを実践する上で大切なことは、自ら生産したものを
迷わず人に与えるということです。借り物や搾取したもの、
盗んだものを人に与えても何の意味もありません。
またこの与えるものの価値はいわゆる金銭価値では量れません。
お賽銭などでも良く言われる話ですが、1億円持っている人が
1万円寄付するのと、100円しかもっていない人が10円を寄付するのでは、
後者の方が徳が高い行為であると言われます。
絶対的な価値ではなく、その行為をおこなった方の心のあり方が
とても大切なのです。
守らなければならないことは、自らの力で、自らが生産したことや
ものを求めている人に与えるということ。
与えてばかりいて、ほとんど貯蓄がなくなってしまった状態だけを
見てしまうと、何かバランスシートがあっていないように
思えるかもしれません。
実際、預金通帳でしか確認ができないような上っ面の資産では
全くバランスが合わないこともきっとあるでしょう。
でも、実際本当にこの世の中は良く出来ていて、目に見えない
「徳」のバランスシートが必ず存在しています。
自分の資産が通帳からは消えたようにみえていても、実は
かならずその変換されたエネルギーが、本人の徳資産として
間違いなく計上されています。この資産はいつでも変換が
可能で、自分が本当に必要とすることが起こったり、助けが
必要な時に、奇跡的な形で返ってきます。この徳資産の大きさが
引き寄せの力の原動力に繋がっている気がしてなりません。
目に見える理屈でしか理解できないことだけにとらわれることなく
日々の活動を通じて本当の資産をきちんと積みあげていきたいものです。
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