みなさん、こんばんは。
僕の中では、般若心経と量子力学の世界が
頭の中で重なっているんですが、
それは、どのような解像度と抽象度で
世界を見ているかということに帰着します。
量子力学論でアインシュタインと激論を
交わしたボーアは次のように表現しています。
世界は、流れの中の渦のような構造を
もった波動を考えればよい。
相対論と量子論は、次の点で一致している。
世界を分割不可能な全体として見なければならぬこと、
すなわち全体の中では、観測者や観測機器まで含めた
あらゆる部分が浸透しあい結びあって一つの総体を
なしていることを示している。
流動運動する分割不可能な全体性と呼ぶのが最善であろう。
事物より流れのほうが、ある意味で基本的存在である。
『事物』は『流れの中』で生成・消滅するものと見られる
からである。
『流れ』においては、精神と物質は互いに分離した実体
ではない。
それらは、分断されぬ一つの全体をなす運動の異なる
二側面である。
存在のどの側面も互いに他から分割されないと考える
ことができるようになる。
これを突き詰めていけば、結局物体も精神も一つであり
世界も私も一つであることがわかります。
それを勝手に私達の意識がここまでが私でここから先が
他人、他物と区別して認識しているのだと思います。
結局は自分の意識によって
みずからの世界は作られているように思います。
その意識の解像度、抽象度、具態度をどれだけ
変容させられるかによって、
その人の世界が人生の中で変化するのだと思います。
今日はここまで。
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