佐藤初女さんの旅立ち


本日から2月。
今日、佐藤初女さんがお亡くなりになった。

佐藤初女(ウィキペディアより)
日本の福祉活動家、教育者。
1992年より青森県の岩木山山麓に「森のイスキア」と称する
悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、
痛みを分かち合う癒しの場を主宰。
それ以前は弘前市内で自宅を開放して同様の活動をしており、
こちらは「弘前イスキア」と呼ばれていた。
素朴な素材の味をそのままに頂く食の見直しにより、
からだから心の問題も改善していくことができると訴えた。
「イスキア」とは、イタリアの南部にある
イスキア島の名前から採られたもの。
ナポリの富豪の息子で、
何不自由ない暮らしをしていた青年が、
この島を訪れて、贅沢三昧の生活から、
自分を静かに振り返ることを学び、
そこの司祭館に滞在したというエピソードから
借用されたものである。
佐藤自身もカトリックの信者。

彼女がつづった「愛」に関する純粋な言葉を
ここでご紹介しておきます。

限りなく透明に凜として生きる
ずっと、このことを話したかったの
ずっと、このことを書きたかったの
ずっと、このことを伝えたかったの
透明のこと。
いちばん大事なのは、待つことです。
母性に立ち返るとき、問題は自然に解決します。
「いのちのうつしかえ」のとき、
人も透明になるのです。
透明だと、ほんとうに、生きやすい。
何かになろうとしなくても、
それは自分の中にすでにあるものです。
透明になって真実に生きていれば、
それがいつか必ず真実となってあらわれます。
だからわたしたちに今できることは、
ただ精一杯、真面目にていねいに生きていく、
これだけだと思うのです。

ご冥福をお祈りします。

今日はここまで。

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この記事を書いた人

静岡県出身。東北大学工学部応用物理学科卒。
1993年アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)入社。大手会計システムの設計・開発・データ移行に携わる。同社戦略グループへ配属後、医療法人システム導入PJT、大手石油会社業務改革に従事。同社を退社後、個人で複数の中小企業を相手に経営診断、営業支援を実施した後、1998年(株)ベルハート入社。発信型テレマーケティングメソッドの開発・導入指導をしつつ、1999年Bell Heart Inex Le Corp.代表として台湾へ赴任。同事業黒字化の後、代表退任し帰国。

2000年(株)ラストリゾート入社。国内拠点、海外拠点の拡大に従事。同年、同社取締役。2002年、同社取締役事業本部長就任。2006年代表取締役に就任。2009年同社代表退任後、数々の新規事業、新会社設立に参画。コンサルティングや経営参画しつつ、多くのプロジェクトに足を突っ込む根っからのお節介。
生涯調達資金額が70億円を超える資金調達のスペシャリスト。

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