皆さん、こんばんは。
今日は少し遊びという感覚について
語りたいと思います。
子供のころ、時間を忘れて遊びに夢中になった感覚
誰にでもあると思います。
あの感覚のままに人生を送ることができたら、
人はもっとあるがままに様々なことを表現できて
そして、より自由に生きることができるのではないかと
考えています。
世の中には沢山のルールが存在し、
様々な情報によって人々の価値観が扇動され
そしていつのまにかジブンという存在が薄くなり
人々は自分の人生を生きるということから
遠ざかっているように思います。
書籍「遊びと人間」の中で著者のカイヨワは
遊びの基本的な定義を以下の通り記述しています。
1.自由な活動
すなわち、遊戯が強制されないこと。むしろ強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみという性質を失ってしまう。
2.隔離された活動
すなわち、あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。
3.未確定な活動
すなわち、ゲーム展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。創意の工夫があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない。
4.非生産的活動
すなわち、財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する。
5.規則のある活動
すなわち、約束ごとに従う活動。この約束ごとは通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する。
6.虚構の活動
すなわち、日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。
この定義に照らし合わせて、今の自分の行き方を観察すると
いろいろと見えてくることがあるのではないでしょうか?
今日はここまで。
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